痛みの治療を知ろう

第15話 ペインクリニックの考え方

痛みは体の異常を知らせる大切な信号です。お腹が痛い、膝が痛い...この痛みの信号がなければ私たちは病気に気づかずに、病状は進行してしまいます。

一方、帯状疱疹後の痛みや癌と診断がついた痛みは不要な痛みです。痛いだけで何の役にも立たない痛みなのですから。つまり、痛みには必要な痛みと不要な痛みがあります。また、肩や背中が何かのきっかけで痛くなることがあります。運動や気分転換などで痛みが軽減するならば正常な体の反応ですが、一度起きた体の痛みや緊張が軽減することなく、逆に強くなっていくと異常な反応です。

この不要な痛みや異常な痛みを緩和するのがペインクリニックの仕事です。まず痛みの根本原因が何かを診断し、不要な痛みであると判断できれば、ペインクリニックの得意技である「神経ブロック」を行なって、一時的であれ痛みを軽減させます。ブロックとは遮断するという意味で、神経ブロックは痛みが神経を伝わることを遮断する方法です。具体的には、ブロック針(注射針の一種)の先端を特殊な手法で神経やその近くに導き、そこへ薬液を注入して神経の伝達を遮断することで、痛みを取り除きます。

ブロックするのは、主に感覚を伝える知覚神経と自律神経と呼ばれる交感神経。使用する薬剤は多くの場合、局所麻酔薬(麻薬ではなく、歯医者さんで使う痛み止めの注射液と同様のもの)です。作用する時間は2〜3時間程度と短いですが、いったん神経がブロックされて痛みが軽減すると、再び当初の痛みに戻るまでかなりの時間がかせげます。神経ブロックは痛みの悪循環を断ち切ることで、障害部位の血流を改善し、痛みや炎症が抑えられるので、体は自然と治癒していきます。つまり、自然治癒力が高められていくのです。

まずは、こうして痛みが軽減することを経験してもらうことが大切です。次に痛みはどうして生じたのかを理解していただきます。理解できない痛みや理不尽と思った痛みは、心に不安とさらなる痛みをかき立てるからです。腰痛を考えてみてください。日常生活や仕事に支障が出るほどの腰痛になると、「こんな調子でやっていけるのかな」と不安になります。そして「痛みのおかげでやりたいこともできないなんて、何のための人生だろう」と思うようになると、心の痛みのできあがりです。

このように心が病んでくると、腰の痛みはさらに強くなっていきます。痛みの拡大再生産が生じているのです。同じようなことは、体中どこでも起きます。さらに悪くなると、たとえ体の痛みはなくなっても心の痛みが残り、「なかなか痛みがとれない」などと周りの人にも訴え続けるようになります。

痛みが原因でうつ状態になる患者さんは少なくありません。痛みに心が飲み込まれ、心身共に元気がなくなってしまうからです。それを「気のせいだ」で片づけてしまうのは、間違いです。このような方には、まず痛みを神経ブロックで少しでも軽くしてあげます。そして、患者さんの話をよく聞いた上で、十分な睡眠をとって心と体を休ませることが必要であること、またそのためには軽い抗うつ剤や安定剤、時には睡眠導入剤も必要なことを理解していただきます。

以前、40代後半の女性が診察に来られたことがありました。見るからに生気がなく痛々しい様子です。腰痛や肩こり、のどの痛みを訴えましたが、何か怪しい雰囲気が感じられます。「痛みのために仕事や家事ができず、外出もしないで家で寝ている」とのことです。

このような患者さんは、多くの病院を回ってから当院へ来られます。話を聞いていくと、家庭や社会での疲れ、存在意義への不安があり、注目を得るために体の痛みを訴えています。痛みはそもそも個人的な感覚で、客観的にその程度を測る方法はありません。今までの医学は痛みに対して物理的な原因を求め、原因がなければ「気のせい」だと考えます。

それに対しペインクリニックでは、患者さんの「痛い」という自覚症状を治療の出発点としています。物理的な原因がなくても、患者さんが痛いと言うなら、いったん痛みはあるものとして診療していこうという態度を取ります。腰が痛いなら、まず簡単な神経ブロックで痛みを緩めておきます。その上で心の治療も始めます。同時に多少の安定剤や抗うつ薬も、なぜ必要かを説明した上で投与します。間違っても痛みは気のせいだけとは言いません。痛みは体にあったのではなく、心にあっただけなのですから。

このように神経ブロックや投薬を行いつつ、心のケアーも含めて治療を行なっていくのがペインクリニックなのです。

平成15年から16年に毎日新聞日曜版に掲載されました「痛みさえなければ」を再編集しています。